Rafal Blechacz Chronology

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Music education

1985年6月30日 ポーランドの首都ワルシャワから約300キロに位置するナクウォ・ナド・ノテチョン生まれ。
5歳から地元の音楽教室でピアノを習い始める。
6歳頃、絶対音感があることをお父様が認識、本格的音楽教育のきっかけとなる。
ビドゴシチ市のハリナ・ザレイスカ氏に個人教授を受ける。
1993年 8歳でビドゴシチ市のアルトゥール・ルービンシュタイン音楽学校で学ぶ。ヤツェック・ポランスキ教授に師事。
11歳で初演奏会。ワルシャワおよびコンシナ・ドルナにて。バッハの前奏曲とフーガ、スカルラッティのソナタ、モーツアルト、ショパン、モシュコフスキのスケルツィーノ。
その後、バッハ・モーツアルト・ショパンのピアノ協奏曲。
2000年 15歳でカタジーナ・ボボヴァ=ズィドロン教授に師事。ビドゴシチ市のフェリクス・ノヴォヴィエイスキ音楽大学に進み、同教授への師事を続ける。
2007年 同大学を卒業。修士号獲得。(Master of Arts in music)
2008年10月 ニコラウス・コペルニクス大学哲学科博士課程。

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Competitive Awards

1995年 ワルシャワピアノコンクールで特別賞(First special mention)
1996年 ゴジュフ・ヴィエルコポルスキのバッハコンクールで最高位
1999年 イェレニア・グラでの青少年のためのショパンコンクールで2位。シロンスク・フィルハーモニック管弦楽団特別賞。
**この頃、作曲家のコンクールでも、入賞。
2002年 アルトゥール・ルービンシュタイン国際青少年ピアノ・コンクール第2位
2002-04年 スウプスク音楽祭に3年連続で参加、青少年賞(Youth Stage Award)を受賞。演目は、リストピアノ協奏曲イ長調、ショパン協奏曲ホ短調、およびバッハ、シマノフスキ、ドビュッシーのソロピアノ曲。
また、ドゥシニキ、アントニンでのショパン音楽祭にも参加。好評を得る。
2003年 浜松国際ピアノ・コンクール1位なしの2位。
2004年 モロッコ国際ピアノ・コンクール優勝。
2005年 第15回フレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール優勝と副賞を全て受賞。(同年2位は該当者なし)

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Rafal Blechacz ラファウ・ブレハッチ

Illustrated chronology

6歳の時、絶対音感があることを、お父様が発見。

家に戻って、父親はピアノを開き、1音を鳴らした。
「ラファウ。これは何の音?」
「ド!」
ラファウは部屋を駆け回りながら答えた。
私は、次々と違う音を弾いてみた。ラファウは部屋を駆け回りながら、ピアノの方を振り返って答えた。間違いはなかった。

2音で試してみた。ラファウは正しく答えた。和音もやってみた。ひとつも間違いはなかった。

7音で--不協和音、かなりむずかしいはずだ。
ラファウは、全部認識できた。

「絶対音感。 --誰かが彼を教育するべきだと思いました。」
(記者)「才能があると?」
「いいえ。」

クシシュトフ・ブレハッチは、慎重に、注意深く言葉を選んだ。
「当時はそこまではわかりませんでした。しかし、この音感能力をみのがすべきではない、と確信しました。」

家族・教師達の証言を綴ったルポルタージュ(英語) >>

1996年、ゴジュフ・ヴィエルコポルスキのバッハコンクールで最高位を獲得。
当時ピアノを教えていたヤチェク・ポランスキー先生の言葉。

「ラファウはゴジュフのバッハコンクールで、バッハの作品をたくさん弾きました。ラファウは審査員全員から、最高得点(25)を得ました。(当時ラファウは11歳。)」

「レッスンでは、バッハやハノンを弾きました。ラファウは目が回るような速度でハノンをミスなく弾きました。10回連続のエクササイズでもつまずきませんでした。ラファウは可能性のエネルギーを発散し、何を弾いても喜びを湧き起こしました。

彼は、ピアノを弾くために生まれてきたのです。生来の耳を持っています。素晴らしい資質に恵まれた子でした。」

ヤチェク・ポランスキー先生の「ピアノを弾くために生まれて」(英語) >>

Rafal Blechacz ラファウ・ブレハッチ

ヤン・ポピス(音楽学者、音楽評論家)の回想。
大変はにかみやで、とても小さくて可愛らしい、しかし極めて才能あふれるラファウが、このコンクールや課題曲、受賞者のことを知り、2002年に出場し、そしてこれほどの高い賞を得た。
彼の才能は本当に特別だ。しかし、舞台に現れるや、爆発的な才能を見せつけて聴衆をひれ伏させるような、目立つタイプの才能ではないと思う。
彼はもっと内省的な、しかしとても自然で高貴な、音楽の本質に深く浸透するようなタイプで、その点では今回のコンクールで右に出る者はいなかった。

ヤン・ポピス氏の回想、全文(日本語) >>

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Rafal Blechacz ラファウ・ブレハッチ

2003年、第5回浜松国際ピアノコンクールで、アレクサンダー・コブリンとともに、一位なしの2位を受賞。

「本選出場者6名に選ばれたのは、ショパンコンクール上位入賞経験のあるアレクサンダー・コブリン氏を除いては意外にもキャリアの点ではフレッシュな新人たちが多く・・・というところも、コンクールというものの持つ“魔性”の表れかも知れない。そして、これだけ錚々たる顔ぶれの才能がひきめきながら、結果として一位が出なかった、という事実も。」
(中村紘子、審査委員長、CD浜松コンクールのライナーノーツより)

「すごい大会で入賞したと、母国の友人に自慢します。次の目標は2005年のショパンコンクールです。」
(ラファウ・ブレハッチ、浜松市広報紙より)

「日本に来る前は、自分がちゃんとやれるかどうか心配でした。でも着いてみたら、運営委員会の人をはじめとして日本の皆さんが親切にしてくれたので、安心することができました。そのお返しとして、できるだけ美しい演奏をしたいと思いました。どの段階でも、これはコンクールだ、という意識はありませんでした。1回1回を自分のコンサートとして、聴いてくださる皆さんに何かを感じていただきたい、皆さんとコミュニケーションをとりたい、そういう気持ちで弾きました。」
(ラファウ・ブレハッチ、月刊「ショパン」 2004年1月号)

インタビュー全文(英語) >>
浜松コンクールでの演奏曲目、写真等(英語) >>

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Rafal Blechacz ラファウ・ブレハッチ

ラファウ・ブレハッチ 東京にて。
2004年 7月

2004年7月来日時、東京

「当事者として音楽に没入するのではなく、楽器を淡々と操り(技術的な完成度はさすが)、出てくる音の高価を確認・観察しているように見える。」
(白石知雄、いずみホールでのリサイタルレビュー、月刊「ショパン」2004年10月)

レビュー全文(英語) >>

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